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車椅子テニス小田凱人は歩ける?車椅子の理由やいつから病気かも調査!

車椅子テニス小田凱人は歩ける?車椅子の理由やいつから病気かも調査!
hirosan
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パリ2024年パラリンピックに車椅子テニス日本代表として初出場する小田凱人(おだときと)選手。

なんと、世界ランキング1位を史上最年少となる17歳で達成した選手です。

車椅子になった理由や病気についても知らない人が多いですが、ネットを検索すると「小田凱人は歩ける」という文面を目にすることがあります。

どういうことなのか、気になりますよね。

そこで今回の記事では、「車椅子テニス小田凱人は歩ける?車椅子の理由やいつから病気かも調査!」と題してご紹介したいと思います。

ぜひ最後までご覧くださいね。

 

車椅子テニス小田凱人は歩ける?

日常生活においては出来るだけ歩くようにしているという小田凱人さん。

実際、立つこともできますし、短い距離なら杖をついて歩くようにしています。

人目がないところなら歩くように意識していると言います。

「筋力の低下を防ぐためにも、普段は立って生活するようにしています」と、本人はリハビリを理由にあげて車椅子を使わない生活を心掛けているようですが、何よりも「かっこいい自分でありたい」という強い思いがそうさせているようにも見えます。

長い距離の歩行は難しいといいますが、杖を片手に軽やかに歩く姿がかっこよく印象的です。

左足に人工関節が入っていて、その人工関節に腹直筋の一部を巻き付ける形態をとっているため、今でも足の左右差があり左足に後遺症が残っています。

しかも、入っている人工関節が幼少期に入れたサイズのままの為、人工関節のサイズが小さいという問題があるといいます。

いずれかのタイミングで再度手術が必要な状態のまま車椅子テニス競技を続けている小田凱人選手。

そんな状態であっても、結果を出し続けているのは本当にすごいことだと思います。

 

車椅子テニス小田凱人の車椅子の理由は?

もともと活発で足の速さが自慢だったという小田凱人選手。

幼少期からプロのサッカー選手を目指して本格的に取り組んでいました。

9歳の時、サッカーのプレイ中に左足に激痛が走り、利き足である左の股関節に骨の悪性腫瘍である骨肉腫が見つかりました。

『骨肉腫』とは、骨にできる悪性腫瘍の中で、最も有名な病気です。

発症年齢は、10~20代の若年者に多いですが、60代以降の人もいます。

発生部位は膝関節周囲や上腕骨近位に多く、発症頻度は人口50万人あたりに1人とまれで、日本での年間発症数は約250例と言われています。

小田凱人選手は骨肉腫が見つかったその後、つらい抗がん剤治療を経て、股関節と大腿骨の一部を切除し人工関節を入れる大手術を受けました。

その結果、左足の自由を失い、医師から「もう走れなくなる」と告げられ、車椅子の生活がスタートしました。

 

車椅子テニス小田凱人いつから病気なのか?

9歳で左股関節に骨肉腫を発症し、手術によって左足が不自由になったことで歩行が困難になります。

そこから車椅子の生活がはじまりましたが、もともと体を動かすことが大好きな小田凱人選手は入院中に主治医から「パラスポーツ」の存在を教えてもらいます。

車椅子に乗る人だけができるスポーツがあって、パラリンピックという世界大会があることを主治医から聞いた小田凱人選手は、そこからYouTubeでいろんなパラスポーツの動画を見て、直感でビビッときたのが車椅子テニスだったと後に話しています。

競技用車椅子を巧みに操作しながら、激しいラリーを繰り広げる選手の姿を見て、「これがやりたい!」と明確に思ったそうです。

そして、10歳で車椅子テニスをやろうと決めた小田凱人選手に希望を与えたのが、車椅テニスのトッププレーヤーで2023年に現役を引退した国枝慎吾さんでした。

病室のテレビで見たロンドン・パラリンピックの決勝を戦う国枝さんの気迫に釘付けになりました。

国枝さんの存在が光となった小田凱人選手は、車椅子テニスを早く始めたい一心で懸命にリハビリに取り組みました。

その後、闘病生活を克服した小田凱人選手は退院後すぐに車椅子テニスのできる地元のクラブに通い、めきめきと実力をつけていきます。

しかし、その後も2度にわたり癌の肺転移が見つかり、治療のための闘病生活を送りました。

「国枝さんのように、車椅子テニスで世界一になりたい。」という強い気持ちが小田凱人選手の支えになり、過酷な治療も乗り越えられたと言います。

 

車椅子テニス小田凱人についてSNSでのコメントは?

 

まとめ

小田凱人選手は10歳で車椅子テニスを始め、2023年全仏オープンで優勝し、グランドスラム初制覇、史上最年少で世界ランク1位を獲得します。

その後、全英と全豪でも優勝し、さらに目標だった2024年のパリ・パラリンピックへ初出場が決まりました。

筋力を落とさないように日常では立つ歩くことを意識している小田凱人選手。

9歳で発症した病気の骨肉腫で左足の自由が失われ、車椅子生活になりましたが、闘病中に大きな目標を見つけ、過酷な闘病生活もみごとに克服しました。

「でっかいこと言って、でっかいことをする。それが俺の美学」

2024年1月27日、全豪オープンテニス車椅子の部の男子シングルスで大会初優勝を果たした直後、小田凱人選手がインスタグラムに投稿した言葉です。

今後の活躍に期待しかないです!

今回は「車椅子テニス小田凱人は歩ける?車椅子の理由やいつから病気かも調査!」と題してご紹介しました。

パラリンピックの車椅子テニスを応援しましょう!

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トレンド情報を中心に気になる情報を発信しています。 好きなものは沖縄・読書・整理整頓。 小中高の3兄弟の子育て真っ最中です。
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